失業者日記

唐突だが、私は'98年 3/14から約1ヶ月、失業していた。(お、ホワイトデーじゃんか)

リストラなんてもんじゃない。会社が倒産したのだ。

今の会社は、'98年の5月に転職したので、約1年。会社を見る目がなかったちゅう
ことかいな。

では、ドキュメント

'98年5月
会社に入社、なにやってる会社かってゆうと、Sという大企業の電話(主にアメリカ向け)
の電話機を作っている。工場はマレーシアにあって、現地じゃ大企業の方だとか
(ちとマユツバ)、
そこで、あたしゃ、電話機の設計をすることに...
とにかく入ってビックリ、羽振りがいい。

  1.残業は青天井
  2.しかもばんめしつき(夕食代ということで2時間残業すると800円もらえる)
  3.この時期にもかかわらず、どんどん人を雇う雇う。
     (全部で50人たらずの会社だけど、この時期毎週一人か二人は入社してた)
  4.私は新機種の開発にとりかかったのだが、このために測定機をしぬほどリース
    した。(こんなにいるのかよ!というくらい)

前いた会社がえらいケチだったので、かなりのカルチャーショックであった。
前の会社では残業は最初は50H規制、その後30H、20Hと減っていき、30才くらいに
なると監督職とかいって、もう残業なし、そのくせ、役職手当なんてものはすずめ
の涙でありました。

そんなわけで、入社してしばらくは定時に帰っていたのですが、忙しくなってから
というもの、残業100Hペース、私にとっては、すごい給料だったのです。
(前の会社のボーナスくらいもらっていた。)

'98年秋
  最初の予兆
    残業での夕食代の支給がなくなった。
      理由は特にいわれなかったが、皆うすうす感づいていたようだった。
    
    残業規制が始まった。
      それまでは、残業は事後申請でもよかったが、事前に社長の承認が必要に
      なった。ま、それでも青天井にはかわりが無い
    
    突然ケチになった。
      リースも社長の承認が必要になり、ほとんど出来なくなった。
      

'98年冬
  会社がおかしい その1 (そうかも...)
   
   妙に秘密の会議とか打ち合わせが増えた。
     後でわかったのだが、 その会議では、日本とマレーシア間でお金をやり取り
     して粉飾決算のようなことをやっていたらしい。
     社長はその時、
      "必死という字は必ず死ぬと書くのだ、皆死ぬ気になってがんばって欲しい"
     と、訳のわからんことをいって、皆をシラケさせたらしい。
      
   妙にやめる奴が増えた。
      総務とか経理とかの間接部門の人間がのきなみやめた。しかも、気が付くと
      いないというような、妙なやめ方であった。(当然、送別会など無い)
      おかげで、総務も経理も女の子とおばちゃんだけになってしまった。

   変な仕事を始めた
      先にも書いたように、会社は電話機のメーカーだったのだが、突然、中国
      の下着メーカーと提携して、女性用下着を売ることになった。
      で、会社のなかでそのカタログ用の写真を撮るのだ、休出した私は、会社
      の会議室で、裸のおねぇさんを見てびっくりした。
      嬉しかったなぁ、その日は用もないのに会議室へ何度もいった。
      会社の品質管理のおじさんは突然、下着メーカーの工場の査察を行えと言
      われてびっくりしたそうだ。

 会社がおかしい その2 (こりゃ、やばいわ....)
   
   上の人たちが突然携帯電話を持つようになった。
     当時は、今とちがって、皆が持ってる訳ではなかった。それまで、携帯なんて
     イラナイといっていたオジサンたちが、突然携帯電話を持って、小さい字とニ
     ラメッコしながら取り説をよんでゴチャゴチャやってた。
   
   人に隠れて電話する奴が増えた。
     会社の電話はコードレスなのだが、電話を持って、階段の踊り場とか、人気の
     ないところで電話するエライ人たちの姿をよく見た。

   役員(社長に次ぐNo.2の立場の人物)が会社にいないで、やたら出歩いていた。
     出先から戻ってきた彼が、会社のビルを見上げて、深くため息をついたのを何人
     もの人物が目撃している。
   
 会社がおかしい その3 (時間の問題ですな....)
   
   へんな規則ができては消えていった。
     突然全社完全禁煙になり、1週間後にはまた喫煙可能になるなど、おかしな規則が
     できては消えた。既に、社長は、心ここにあらずという状態だったようだ。
     
   突然ケチじゃなくなった。
     稟議がバンバンとうるようになった。倒産する1ケ月前で、測定器等300万円くらい
     購入したような気がする。取り込み詐欺でも考えていたのだろうか?
   
 給料の遅配(ついに来たか!!)

     '99年2月の給料が遅配した。といっても1週間くらいだったのだが。
     この時は当日になって遅配する。申し訳ない、一週間でなんとかなるという
     話があっただけで具体的な理由とかは話してくれなかった。
     
     私はこの時点で3/Eの倒産を予想していた。

 海外出張はならぬ!!

     実は、私はマレーシアの工場への出張が3/中旬に予定されていた。
     既に、私の上司はお客さんと一緒にマレーシアの工場へ行っていた。
     そこで、月曜からマレーシアということで、航空券を買ったり、仮払い
     もらったりするので社長の決裁を貰い、総務に行ったら、会社No.2が
     今いってもしかたが無い、もう少し待ての一言で、出張が延期になった。
     今にして思えば、行ってれば現地で倒産ということになったので、やや
     こしいことに巻き込まれずに済んだのは、彼の計らいだったのだろう。

 立ち入り禁止はなんのため?

    金曜日に館内放送があり、明日の土曜日は、ビルの電気工事のために立ち入り
    禁止ということであった。納期控えて、休出があたりまえだった私たちは少し
    ほっとした。すると、No.2が私のところへ来て、人のいない場所へ連れてかれ
    て"明日の電気工事はウソだ、明日、会社へ来て欲しい"と言われた。ついに来
    たのかな?という感じであった。
    

 俺に夜逃げの手伝いをさせるなというの!!

    翌日土曜日に会社へいくと、役員以外に15人くらい、各プロジェクトの主だった
    人間がきていた。社長はいなかった。例によってN0.2が
    "処々の事情により、プロジェクトをここで続けることはできなくなった。"
    "プロジェクトは他のところで行うことになる。"
    "ついては、会社にある設備や試作品等をある場所に移すので協力して欲しい。"
    "今日来てくれた人の雇用は確保するので心配しなくてよい"
    "今日の設備その他の移動は法的には問題になるものでは無い"
    という趣旨のことを話した。
    その日集まった顔ぶれを見ると、若いものが多く、会社を救おうというよりは、
    その頃行っていたプロジェクトを遂行させるためのメンバーという感じは否めな
    かった。
    トラックとかも、レンタカー屋で借りてきたもので、設備の移動先はNo.2の親戚
    がやっているという健康食品の会社の事務所であり、"これって夜逃げじゃん"と
    思うのであったがとりあえず、一生懸命に運んだ。
    この会社でいやな思いをしていた私は、No.2に、強制はできないが、次でもやって
    欲しいという依頼を"もう、こんな想いはしたくないですから"の一言で断った。
    他の人はわりと、次でもやるつもりだったようで、私が断ったという話を聞いて
    ビックリしていた。まったくもう!!である。
    最後に、他の社員にはこれから連絡するが、明日、会社へ来て欲しい、その時に
    保険証と社員証を持ってきて欲しいと言われた。また、今日のことは、他の社員
    にはいわないで欲しいとも言われた。
    
 さて、日曜日
    会社には、全社員が集まっていた。皆、土曜日に電話で連絡を受けた
    そうである。
    社長はいない、みたことも無い顧問弁護士という人が皆の前で話した。
    
     "諸事情により、会社の存続が難しくなった。"
     "社員は全員整理解雇ということとなった"
     "退職金かわりということで、今月分+1ケ月で2ケ月分の給与を渡す"
    
    もうあまり覚えてないが、こんな趣旨だったようだ。
    会社の存続が難しい理由として、マレーシアの金融がどうとか言っていた。
    また、社長はマレーシアの方で、事態の収拾を図っているといっていた。
    
    一人二人文句を言う奴もいたが、社員のほとんどが、ここ一年以内に入った
    ものばかりなので、あまり大荒れにはならなかった。
    (当事者の社長がいないんじゃしゃーねぇしな)
    で、皆で社員証と保険証を返して、なにかその代わりになるものと、年金手帳
    とか、雇用保険者証とかを貰ってお開きになった。立派な失業者という訳だ。
    後で皆(若いやつらメイン)で晩飯を食いにいった。
    
    この会社は"エクセレントカンパニー"というキャッチフレーズがあったが、
    このあっさりした終わり方は確かに"エクセレント"であった。
    
    昨日、集まった人間は、次もどこかで雇用が決まっているからよいが(私は蹴っ
    たが...)他の人(しかも事務系の女性)は大変そうである。
    
    特に、最近入ったばかりの女性で、旦那さんとは最近離婚、娘は高校生、親は
    病気で入院と、お金がかかることばかり、しかも日が足りないので、失業保険
    はもらえないといって泣いていた。雇用とは契約(約束)である。こういう人と
    の約束をどう考えているのだろうか。
    
    社長もそうだが、まだ客先にしっぽを振って、関係者だけ集めて自分の仕事を
    続けようというNo.2にも頭に来た。
    
    きっと、客先はこのプロジェクトが終わったら、切るに違いないと私は思った。
    (実際そのとうりになった)
    
 失業の日々
    翌日、この会社を紹介してくれたリクルートなんちゃらに文句を言いにいった。
    とりあえず、また登録をしてもらった。
    担当者は"えー、倒産しちゃったんですかぁ"とビックリしていた。さらに、
    "最近、Yさん(中堅電話機メーカー)が倒産しちゃったじゃないですか、なので、
    今この市場は売り手ばかり増えて難しいんですよね"などとのたまわった。
    市場という言い方が笑えた。
    
    雇用保険の手続きにいった。すごい人の数だった。
    ハローワーク始って以来の数だと所員の人はいっていた。
    "雇用保険の不正受給をするとすぐわかりますからね"という趣旨のビデオを見
    せられた。なぜわかるかというと、"コンピュータを使ってるから"ということ
    らしい、その時のシーンでは、昔の磁気テープがくるくる回り、ディスプレイ
    に緑色で英数字がダーッと出てくるのが映し出された。なんだかなぁ。
    そのビデオを見せる部屋も人であふれ返っていて、私は補助椅子のようなもの
    に座ってみていた覚えがある。
    そこでも会社の人(同じ市のおばさん)に会った。独身(もう50近いはず)で、親
    の面倒をみなくちゃいけなくて、これからどうなるのかしらねとかなり不安そ
    うであった。若い奴らばかりじゃないからね。
    
    私の上司もマレーシアから帰ってきた。
    彼が工場を出たのは、倒産寸前、間一髪だったらしく、倒産後残された日本人
    スタッフは、ヤクザ者みたいなものたちに囲まれて大変だったらしい。
    マレーシアには雇用保険とかは無いので、解雇されたらすぐに食べれなくなる
    のである。皆必死で、交渉するにも、そういうものたちが現れるらしい。
    
    上司は工場から図面等を結構持ち出してきていたのだが、空港に着くと、客先
    の課長とかが現れて、その図面を上司からひったくるようにして持ち帰ったら
    しい。皆必死なのね....
    
    私の当時の暮らし振りは
     朝起きると、朝ご飯をつくり、子供を保育園に送りに行く
     午前中に洗濯等の家事を行い、午後はハローワークに行ったり、図書館にいっ
     たり、市でやってるスポーツジムにいったりして、夕方、子供を保育所まで迎
     えに行き、晩ご飯をつくり、調べ物をしたり、読書したりして寝るという、
     大変に人間らしい暮らしあった。
     かみさんも、
     "あなたが失業している時が一番ラクだったわ、もう一度しない?"
     といっていた。
     
 会社復活???
    
    当時、失業者同士でメールで情報の交換をしていたのだが、変な噂が流れた
    "社長がマレーシアから戻ってきており、また会社を始めるので手を貸して欲しい"
    と電話をしまくっているらしいというのだ。
    その翌日、私のところにも社長から電話が来た。私はにべもなく断った。
    電話の内容は
    "手違いでこうなった。会社はつぶれていない。また始めるので力を貸して欲しい"
    だった。なんだそりゃと思った。
    
    で、No.2の方はというと、
    "社長が始めるというならそれもよかろう、そちらで仕事を継続するならば、設備等
    は返す。ただし、自分は社長とはもう一緒にやるつもりは無い"
    とのことだった。完全に喧嘩している感じである。
    
    社長のいうことが本当だとしても、手違いで会社を潰すような奴とはもう仕事をした
    くない。
    
    社長が説明するというので、何人かの人間が話を聞きに会社に行った。
    会社には、社長と、業務の女性(社長の愛人との噂あり)、経理のおばさんがいたそう
    だ。
    
    社長の説明は以下のとうり
     "まだ会社はつぶれていない"
     "客先から注文の前倒しをもらったのでもう大丈夫だ"
     "今回の件(社員の全員解雇)は弁護士の暴走(えぇーーー)"
     "私は主だった社員を残してリストラをするつもりだった"
    
    これについて、事情に詳しい人間がお金の件で突っ込んだら、全然答えられなく
    なったらしい。また、この打ち合わせの内容は出席したものから携帯のメールで
    ほぼ逐一、連絡された。
    
    最初は本当に主だったものに電話をしていたようだったが、誰もいい返事がない
    ので、どんどん電話をする対象がふえていって、結局、全員に電話をしたそうで
    ある。(なぁーにが、リストラじゃい!!)
    
    結局、誰も社長にはつかなかった(愛人でさえも...)、で、本当に会社は倒産した。
    
 その後

    結局No.2が客先の他の下請けであるTという会社にいってプロジェクトを遂行する
    こととなった。が、私がいかないといったので、他にも行かないという人間が増え
    結局、おじさん4人と若いのが2人だけというちょっとバランスの悪い編成になった。
    そのTとの契約も、かなり足元をみられたもののようであったらしいが、なんとか
    プロジェクトも完了することができ(No.2の力というよりは客先の力だったらしい)、
    No.2は新しい会社を立ち上げた。
    ここで、彼は他のオジサン2人をリストラした。(私の上司もリストラされた)

    しかし、この段階で以前の客先の仕事はまったく無くなった。
    Sという大企業は結局プロジェクトの遂行だけのためにいいように使っただけだった。
    かんじとしてNo.2はSの手先になってたんですね。
    そもそもSはその後、携帯電話以外の電話機から撤退したのだが....

    さて、そのNo.2の会社だが、一時期はかなり危なかったようだが、今は結構仕事も
    増えていいかんじらしい。
    
    私は、以前の客先の紹介で、わりと早めに次の就職が決まった。失業期間は約1ヶ月
    であった。
    
    他のものも心配していたが、皆それなりに就職できている。
    独立して成功したものや、結構大きい企業に入ったものも多い。
    
    
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